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フレディもしくは三教街

今回は僕の「泣いてしまう曲」を紹介したいと思います。
 
 
さだまさし
「フレディもしくは三教街〜ロシア租開にて」
 
 
確か中学生の頃。
夏の夜風は心地良く、枕元に置かれたカセットから流れてきたこの曲は「なんて綺麗な曲だろう。外国の空気が伝わる歌だなぁ」と感じさせてくれました。
 
 
当時はそこまで歌の意味など知ろうとはしていなかったので、聴くともなしに耳に入る歌詞は
「どこか遠い外国のラブストーリーの歌かな…?」
くらいに思えてました。
 
 
ですが、やがてこの曲の内容を知ることになった時には涙が止まりませんでした…
 
 
これはとても美しく、儚く切ない映画のような曲なのです。
 
そして最も美しい反戦歌なのです


 
アヘン戦争後の半植民地支配下にあった中国には行政自治権治外法権をもつ外国人居留地の地域、租界(そかい)と呼ばれる地域があったそうです。
 
租界には様々な事情で祖国を離れた人々が移住し、それぞれの文化や風習を争うことなく守り合って暮らしていたといいます。
 
曲の舞台となる漢口(ハンカオ)は現在でいう武漢(ブカン)の辺り。
 
漢口(ハンカオ)には「イギリス租界」「フランス租界」、ロシア、ドイツ、そして「日本租界」と。
石造りの洋館が立ち並ぶ素敵なヨーロッパ風の街並みだった様子です。
 
そしてロシア租界は「3教街」と呼ばれ、ロシア正教ユダヤ教キリスト教の教会が仲睦まじく佇(たたず)んでいたそうです。
 
互いの宗派も認め合い、いがみ合う事なく暮らす街。
誰もが理想とする平和な都市がここにはあったのではないでしょうか。
 
 
さだまさしの母は17歳の頃、貿易の仕事をしていた兄に漢口(ハンカオ)に呼ばれ、終戦までの3年あまりをタイピストの仕事をして暮らしていました。
 
彼女はそこでドイツ青年とのトキメクような恋があったのです。
 
 
海岸通り(バンド)で、水のキラメキを背景に彼がさっそうと人力車を停める場面から歌が始まります。
この先の幸せを予感させるような彼との出逢い。
キラキラした気持ちがとても眩しく伝わります。
 
歌詞に登場するお店などは実在した名前の通りだそうです。
 
17歳の彼女にとって、胸躍る異国の情景の中での彼との日々はどれほどきらびやかなものだったでしょうか。
 
 
 
しかし…
 
 
やがて戦況は悪化。
 
 
1944年、アメリカ軍の500トン以上もの焼夷弾によって街は破壊され、三日間に渡る大火災の末、街は文字通り跡形もなく焼き尽くされる事になります。
 
 
 
この曲は服部克久さんのフルオーケストラによるアレンジもとても素晴らしいのです!
 
特に間奏は、戦争という不条理に対し「これでもか!」というくらいに美しく壮大な世界が作られています。
 
 
「戦争?そんな不条理に合わせて悲しい音楽を作ると思うか?
人々から全てを奪おうと、そこでの想い出は美しく残してやる。
そこに生きた人達の…全てがリアルで美しかった事を証明してみせる。
この芸術を、この表現を、誰にも止めさせてなるものか!」
 
という、作り手の怒りすら感じる程の美しい感動があります。
 
 
…思えば、母のこの恋愛が成就していたらさだまさしさんはこの世に生まれて来なかった訳で、数々の名曲も無かったわけです。
 
 
この曲には時の流れの無情さや、永遠と継がれし人生の、神秘なる歴史があるように感じます。
 
 
こんなご時世だからこそ、是非とも聴いて欲しい曲として紹介させて頂きました。
 
アコースティックバージョンなどもあるようですが、是非「原曲」で聴いて下さい。
 
 
原曲


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