とんちで有名な一休和尚の子供時代のアニメ。
村で起こった出来事や殿様から出される難問をことごとくとんちでクリアしてゆくというストーリー。
絵本などもいろいろ出ていますよね。
有名なとんち話としては
「屏風の虎」
屏風に描かれた虎を捕まえてみよ、という謎掛けに対し、荒縄を用意して
「準備が整いました!さぁいつでも虎を追い出して下さい」
とやり返した話。
「このはし渡るべからず」
…と書かれた橋の真ん中を歩き
「端(はし)は渡っていません」
とやり返した話。
などがあります。
小学生だった僕が印象に残っている話としては…
お城の贅沢な料理に飽き飽きとした殿様が
「最高の料理を食わせてくれ」
という難題を与えます。
一休さんは殿様をお寺に招き、畑を耕す野良仕事や薪割り、掃除など、自分達と同じ労働をさせます。
ずっと食事にありつけず、くたくたで空腹な殿様は風呂にも入れられた後で、ついにその「最高の食事」にありつけます。
しかし出て来たのは他の修行僧と同じ『おかゆと漬け物』程度の質素な食事。
しかしそれを口にした殿様は
「こんなに美味い食事は食べた事がない!」
と絶賛するのです。
汗水垂らした後に有り難く頂く食事に勝るものはない、といったお話しでした。
同じ物でもそこに行き着く過程によって価値は変わる。
山頂の景色は歩いて登ったからこそ美しい訳で、エスカレーターで一気に到達したのでは本来の感動を得られない訳ですよね。
ところでこの一休さんは実在した室町時代の僧侶「一休宗純」という人物がモデルとなっているのですが、アニメでは可愛らしい一休さんも実際は僧侶にも拘わらず肉を喰らい酒を飲み、女性関係も派手だったという、結構な破戒僧だったご様子。
しかしそうした行動の裏には幕府に庇護された甘っちょろい僧侶の実態に反抗した意味合いがあったようです。
世間からも敬われていた様子から
『痛快な論破王』
みたいな坊さんだったのかしら…と想像してしまいます。
「はいはい、え〜とまず『このはし渡るべからず』…って書いてあったんですよ(笑)
だから今『真ん中』を歩きましたよねぇ?
え、ズルいってのは違くありませんか?
『はし』を『橋』と捉えるのは、それはあなた個人の考えですよねぇ?
例えば僕がこのお膳を挟んで
『はしを持って下さい』と言ったらあなたはお膳の端を持つと思うんですよ。
でも僕が言ってるのはこの『お箸』の事だったりするんですよね。
って理論が成り立ちますよねぇ?
これ合ってますよねぇ?
えっと、もし間違ってたんならちょっと謝ってもらっていいですか?
だって今ちゃんと論破しましたよねぇ?」
…と。
アニメ「一休さん」は
室町の論破王の、まだ可愛かった子供時代のお話しだったのかもしれません。。
KS