マニュアルミッション(MT)車の話を書いた時のコメントで「高齢者こそMT車にすればいいのに」というのがあったのですが(いつもコメントを下さる皆様ありがとうございます!)
むむ〜っと、思うところがあったので今回はその辺をもう少し深く掘り下げて考えてみたいと思います。
確かに昔は主婦も高齢者もMT車で面倒臭い運転操作を行っていたんですよね。
事故のデータもマニュアル車の事故率の方がオートマ車の二倍という事から「便利になったから安全になった」という事ではない様子。
「出来なくなった」から止めた訳ではなく、面倒な作業を「止めてしまったから出来なくなった」訳ですよね。
そういえば昔おばあちゃんが
「鉛筆をナイフで削れない子が増えてるらしいが信じられん」
と言ってました。
確かに僕らの頃にはもう鉛筆削りを使ってましたので一々ナイフで削るなんて考えられなくなってました。
現在では鉛筆自体を中々使わなくなったと思いますが…
さて例えば…面倒なマニュアル運転操作をしていて「最近ヘタになって来たな〜」と感じた時、その人の人間としての能力が『本当に落ちて来た時』なので力の衰えを自覚する事が出来るのだと思います。
車は勝手にエンスト起こして止まりますので明らかに『失敗』として体感します。
そんな事が続けば「もう私は運転は駄目なんだな」と自覚させられるのではないでしょうか。
オートマ車はいわばゲームセンターの車のゲームと同じ作業ですから、その気になれば小学生でも運転出来てしまえる訳ですよね。
その「運転が出来てしまえる」って事が自分の能力の衰えを自覚しづらくさせているように思えます。
文明が生む利便性って、
便利によって生じた弊害をさらなる便利の開発で補うという…言わば果てのない連鎖。
マニュアルミッションの運転は大変だという事で運転の楽なオートマ車が生まれ…
単純作業になったオートマ車が事故を生めばその穴埋めをするように自動運転の開発が進められ…
それにより人の身体能力は衰え…
例えば自動運転車が機械トラブルになり急に自力で運転しなければならない場面になったとして
「やばい、車の運転ってどうやるんだっけ!」
なんて事にならないのかしら…
遠い未来を見据え、ある程度の所で弁えなければならない開発もあるのかもしれない。
以前、発明王のドクター中松さんが『水を動力源としたエンジン』をテレビで紹介したのですが、その時に「しかしこれは自然の生態系を壊してしまうからダメなんですよ」と話してました。
発明はしたものの商品化は進めないようにしたのかもしれませんね…
20☓☓年…
「歩くのってダルくない?」
「高齢者の皆さん、もう歩かなくて済みますよ!」
なーんて考え方が主流になり、
『自動歩行機』
なんてものが当たり前になってしまった世の中。
「あら、自動歩行機が故障した!ヤバイ止まっちゃった…
ねぇ…歩き方ってどうやるんだっけ?!」
なんて日が来ない事を祈ります。
KS